日本・アジアに生きる人々が
織りなす歴史と文化を、
多角的な視点から読み解き、
世界像を構築します。
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- 河島 真 教授
- KAWASHIMA Makoto
- 日本近現代史
見えない過去を探る歴史学。
冒険するのは私たち。
さあ、みんなで議論をはじめましょう。
戦間期の政治、行政、社会、思想をトータルに捉える研究を続けています。また、近代とは何かという大きな問題意識から日本の近代国家のあり方を考えていきたいと思っています。
私はこんな人!
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子どもの頃から「歴史」が好きでした。同時に、「現代(いま)を知りたい」という思いも強く持っていました。大学に入学して日本史学を学びはじめた時、近現代史を選択したのは自然の成り行きだったように思います。
私が最初に取り組んだのは、議会(政党)を中心に行われていた1920年代の日本政治が、1930年代になぜ機能不全を起こしたのかを明らかにする、という課題でした。この問題意識は今でも一貫して持ち続けており、戦間期(第一次世界大戦の終了から第二次世界大戦の始まりにかけての時期)の政治、行政、社会、思想をトータルに捉える研究を続けています。また、こうした研究を続ける過程で、国を律する憲法とその解釈に関心を持ち、戦前と戦後の憲法の比較などを歴史学の立場から試みた研究も行っています。このほか、いくつかの自治体史の執筆や大学史の編纂に携わった経験から、近現代日本の地域史、教育史(特に高等教育の歴史)の分野でも仕事をしてきました。
今後は、戦間期の研究を軸としながら、近代とは何かという大きな問題意識から日本の近代国家のあり方を考えていきたいと思っています。また、自由とデモクラシーを「課題」とし同時に「謳歌」してきた戦後の日本を、それが大きな壁に直面している現代的状況を視野に入れつつ検討することにも関心を持っています。
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私のゼミで扱うテーマは日本の近現代史(明治維新期から高度経済成長期頃まで)です。歴史学とは、過去に存在したものの意味を、史料にもとづいて明らかにしようとする地道な作業にほかならず、ゼミでは日本の近現代史に関する文献と史料の講読を通して、歴史学の方法、史料の読み方、そして論理的な思考力を身につけ、卒業時に自分にしか書けない卒業論文を執筆してもらうことを目標とします。
その際、ひとりで学ぶのではなく、「共に学ぶ」ということを大切にしたいと考えています。「共に学ぶ」ときに重要なのは「議論する」こと。議論は意見を述べることによって始まります。意見を述べるためには、考えなければなりません。そして考えるためには、テキストを読み、他人の意見に耳を傾けなければなりません。「議論する」ことこそが実は「学び」のスタートであり、議論を通して学生同士、そして私も一緒に「学び合える場」として、ゼミを位置づけていきたいと考えています。
歴史学に必要な、史料にもとづいて考えるという営みは、みなさんが情報過多な現代社会を生き抜いていくにあたって、自分でものごとを判断する力につながるはずです。良いか悪いか、好きか嫌いかという二元的で感覚的な価値判断とは距離をおき、なぜ、どうしてという疑問から物事の本質に迫ってゆく論理的な思考力を、ゼミでの学びを通して身につけていただければと思っています。
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- 小林隆道 准教授
- KOBAYASHI Takamichi
- 東洋史・中国史
多様性を内包する
「東アジア」でダイナミックに
展開する歴史・文化を
多角的な視点から解読する。
中国中近世史を中心に東アジアの歴史と文化を研究しています。各時代・地域の人々がどのように生きたのかを時間・空間軸上に定位して考察し、広い視野で考える力を養います。
私はこんな人!
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中国史学を専門としており、10-14世紀中国の宋・金・元代における政治制度、文化や社会について公文書に注目して研究してきました。特に興味を抱いたのは石の文書です。それは紙の文書の外観(文字書体・官印など)を石碑上に再現しています。そのような石の文書は20世紀前半においても作成され続けました。それら石碑を現地で探しだし解読していく中で、公文書が単に政治・制度の中のみで運用されたのではなく、思想・宗教・芸術・地域と深く関連して運用されていたことが見えてきました。
そのため現在の研究対象は広く、鬼神が活躍する怪異を読み解いたり、中国における「書」の役割や文人たちの活動について考えたりしています。一見主題がバラバラのようですが、それらは「書く」ことに“取り憑かれた”「中国」という視点に収斂します。
「中国」というまとまりは、昔から現在のような形で存在したわけではなく、歴史的に形成されたものです。それでも、各時代の「中国」は自身の歴史を古代から一貫したものという意識で叙述します。「中国」とは一体何か?この問題について歴史的な視点から考えたいと思っています。
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主に中国史を中心として東アジアの歴史・文化を多角的に学びます。ゼミでは、東アジアの歴史のスケールの大きさと歴史研究のおもしろさを実感しながら、各時代の人々がどのように生きたのかを考えていきたいと考えています。
3年生のゼミでは自分の興味関心のある時代・地域・分野を探します。まず様々なテーマから選んだ各種論文をゼミ生全員で読み内容を検討します。次に史料をどのように読解するのかを学びます。主に中近世中国の正史・志怪小説(怪奇小説風の説話)・石刻・芸術作品などの史料から歴史情報をどのように抽出するのかを、その史料が持つ性質に則して具体的に学びます。漢文史料を読めるか不安な人が多いと思います。そこで、どのように史料を読むのかを基礎から学んでいきます。そうして方法を学んだ後、ゼミ生各自が興味関心のあるテーマを設定し、先行研究を調べ報告します。これらを通して4年生での卒業論文につなげていきます。
授業で扱う時代は宋金元代の中国だけではなく、その前後にひろく幅をとります。また、社会、思想・宗教、美術など広い分野を扱いますので、東アジアの他の時代・地域や隣接分野を卒論のテーマとすることができます。
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- 栗山圭子 准教授
- KURIYAMA Keiko
- 日本古代中世史
もう会えないはずの
人と対話する。
その生きざまを、知恵を学ぶ。
歴史は未来への羅針盤です。
平安~鎌倉時代の女性の恋や結婚、「家」での役割や政治的位置 について研究しています。現代の 常識とは異なる多様な価値観や 人生を知り、同時にその歴史的な 変容の過程について探ります。
私はこんな人!
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私の専門分野は、日本古代中世史です。平安時代中期~鎌倉時代初頭(摂関期~院政期)の、天皇家(王家)、特に天皇家の女性を主たる研究対象にしてきました。天皇の妻・皇子女の母(后、国母)や皇女たちが、どのように摂関期・院政期社会を生きたのか、当時の社会でどのような立場にあったのか、それぞれの時代を生きた女性の存在形態を知りたい、というのが、私の研究の原点であり、現在も継続する私の研究テーマです。
まずは、残された史料の中から、一つ一つ皇女たちの動静を掘り起こしていく、卒業論文ではそんな地道な作業から始めました。皇女の誕生後諸儀式や成人儀礼、住居や父母との関係等々、それらを整理していくうちに、彼女らの生き方は、当時の天皇家の在り方そのものに直結するのだ、ということが見えてきました。こうして、皇女研究から始まった私の研究は、より広く天皇家の存在形態を解明する方向へと研究対象を広げてきました。
現在は、院政期以降の天皇家の存在形態の変化(父院を中心とする「家」のしくみの成立)と当該期の政治形態(院政)の密接な連関関係の解明、また、摂関期から院政期の家族形態および政治形態の変化について明かにすることに取り組んでいます。
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日本史(歴史学)は、先達たちの研究蓄積(論文)に学びながら、残された資史料に基づいて、新たな事実を発見し、あるいは、史料に新たな角度から光をあてて、これまで信じられてきた学説(通説)に追加・修正を行い「上書き」作業をしてゆくことによって歴史的真実にせまる学問です。ですから、ゼミでは、①先行研究を調べ、従来の研究が何を・どこまで明らかにしているのか、正確に論文の内容を把握すること、②立論の基礎となる史料を読むスキル、の両方の能力を併行して鍛えていきたいと考えています。
2023年度前期は、広く日本古代中世史に関する論文について講読し、これまでにどのような研究分野や研究対象があるのか、まずは卒論で扱ってみたいテーマ探しを行います。同時に、レ点や一・二点の付し方など古記録・古文書を読む基礎を学びます。後期は、ゼミ生それぞれが関心あるテーマに関する論文について報告するとともに、引き続き史料を読み込む訓練を継続します。また、神戸市内あるいは京都の寺社や旧跡など、歴史の現場を訪れる機会をつくりたいと思っています。
最初は何時間もかかって一本の論文を読み、わずか数行の史料の解釈に格闘する、その積み重ねの中で、過去と現在のつながりを、あるいは違いを感じ、自分なりの歴史像を構築していく楽しさを感じてもらいたいと考えています。
日本・アジアの文化と歴史をメインに、「何をどう学ぶか」の組み合わせは7種類。
3年次までにやりたいことを見つけましょう。