TEACHER 教員紹介

What kind of person?

哲学・倫理学・美学

三木順子教授

専門: 近現代の美学・芸術学

歩くのも食べるのも話すのも遅め。でも、スローライフに憬れているわけじゃない。胸に刻むは古くからの教え、「悠々として急げ」!

PROFILE

  • 出身兵庫県。その昔、播州と呼ばれた辺り。
  • 好きな食べ物キノコ、白アスパラガス、貝、タコ、ハーブ、栗、蜂蜜
  • 座右の銘たゆたえども沈まず
研究テーマアイコン

私の研究テーマ

感じ、想像し、行為し、創造する生き物である〈人間〉。
その人間の可能性を芸術を手掛かりに問うてみよう。

"人間は、言語や概念をとおしてものごとを認識していますが、その一方で、五感を働かせ世界を直に感じてもいます。「感じる」ことは、しかし、五感をとおした直接的な知覚経験に限られているわけではありません。人間は、直接には知覚することができず、本来は与り知ることのできないものを、みずからの内側においてありありとイメージし、自身の経験のなかに刻み込む、豊かな想像力をも有しているのです。私が専門とするのは、五感の知覚から想像力の働きに至るまでの、広い意味での「感性」の役割とその重要性を問う「Aesthetics 美学」と呼ばれる分野です。
 遠い過去や遥かな未来を想うときはもちろんのこと、複雑で多様性に満ちた今を生きることにおいて、すでに、感性や想像力が不可欠です。問題は、いったいなにが、いかにして、私たちの感性を培い、深め、逞しいものにしてくれるのかでしょう。私は、人間が長い歴史をとおして絶え間なく展開してきた、芸術の創造と享受の営みを、感性が新しい可能性に向かって開かれていくダイナミックな「場」ととらえてきました。近代および現代という時代にアクセントを置き、ドイツ語圏の現象学や解釈学を導きの糸として、美術、デザイン・建築、映像などのさまざまなジャンルの芸術の在りように即しながら、人間の知覚や想像力の来し方と行方を尋ねています。"

Question

あなたは山派?それとも海派?
京都五山の送り火で知られる「法」の山のふもとで暮らしています。すぐそばを流れる川で美しい鹿を見かけるたびに、テンションがあがります。でも、惹かれるのは海。明石海峡を眺めながらボーッと少女時代を過ごしたせいで、もの心がつくのが遅かったけれど、それでもやっぱり海が好き。
苦手な質問はなに?
趣味を尋ねられると答えに窮する私。遠い国を旅していても、劇場に座っていても、ちょっとしたご馳走を味わっていても、体を動かしていても、すべての経験がおのずと人間の感性や想像力にまつわる問いの深みへと転じていきます。ONとOFFの切り替えがきかないポンコツ生活ですが、それがむしろ愉快でたまりません。
向こう見ずな冒険家?
「山と谷を越え、迷いに迷いをかさねたのち、ふたたび広野にでるが、そこはまたあまりに広すぎて、いくばくもなくまた新たに迷路を山を求める」。手塚治虫や水木しげるも敬愛したドイツの文豪ゲーテの言葉です。危険を冒すスリルにではなく、果てのない迷いとさすらいのなかにこそ冒険の魅力があるような気がします。

総合文化学科に興味のある学生の皆様へ

私は美学・芸術学を専門としていますが、大学に入学して「美学概論」という講義を聴くまで、この分野の存在も名前も知りませんでした。芸術が思弁的な学問の対象となるうることを知り、驚き、自分でもなぜだかよくわからないままどんどん惹き込まれ、今に至ります。あなたがもし、自分がなにがしたいのかがまだわからないとしても、心配することはありません。
 とはいえ、鏡の前に立ってひたすら自分探しを続けていても、なにも見えてはきません。寺山修司のいうように、「この世でいちばん遠い場所は自分自身の心である」のだから。大切なのは、周りの世界に目を向け、新しく出会うものをしっかりと味わうことです。そうするなかで、思いがけず、自分自身についてもなにかが見えてくるはずです。
 もっとも、突如として視界が開け、すべてをクリアに見通せるようになるわけではありません。なぜなら、新しいことを知るにつれ、あなた自身が変化し、世界の見え方がかわり、それに応じて新たな迷いや疑問が生じてくるからです。学びの喜びとは、霧のなかでこそ顕わになる、汲み尽くすことのできない謎としての世界に触れる悦びなのかもしれません。
[ドイツ南西部の《黒い森》のなか、霧深いトートナウベルクでのスナップショットを添えて]